誰かと会って話すと良い意味で話が飛んだり、展開が読めなかったりするから面白い。
人の思考を聞くのは楽しいし、とにかく最高でした。
「いつスイッチが入ったのか」
「どうやってスイッチが入るのか」
という話が面白かったので、自分の場合を振り返ってみます。
目次
そもそもスイッチって何?
ここでの “スイッチ” は、ざっくり言うと受け身の状態から、自発的に動くようになるタイミングのこと。
ワークショップとか授業がわかりやすいと思うけど、そこに参加している人のモチベーションや姿勢にはいろいろあって
- 友達に誘われて来ました
- 強制参加だったので
というスタンスの人と
- 積極的にアウトプット(orインプット)してみよう
- この場から何かを持ち帰ろう
- この空間を良くするために働きかけてみよう
という人では、向き合う度合いがだいぶ変わってきますよね。
(それぞれの参加理由・スタンスの良し悪しは置いておいて、向き合う姿勢の話)
なんか分かりにくい表現なので、
「自分が関わっていることにコミットしている(責任を持って取り組む・積極的に取り組む)」人を “スイッチが入ってる人” とします。
いつスイッチが入った?
冒頭の会話の中で「人はどうやったらスイッチが入るか」という話になっていたんですけど、自分は今の職場で働き始める時に(応募する段階で)、「積極的に取り組む」と決めてました。
これまでを振り返るとこういうパターンは少なかった気がします(ほぼない?)。
なので、自分の場合は自然にスイッチが入ったんじゃなくて、意識的にスイッチを入れたみたいです。
ここに関しては、スイッチを入れられる状況・状態を少しずつ作ってたのが大きかったように思います。
ズルズル引っ張ってたことに区切りを付ける準備をしていた
以前、ものづくりをしていて、鳴かず飛ばずのまま長い期間を過ごしてました。
(というか、そもそもそれで食っていこうと思っていたわけでもなかったくせに、謎に引っ張ってしまったんですよね)
これにひと区切りつける方向で動き出したあたりから、少しずつスイッチを入れる準備ができてきた気がします。
同時進行になってた時期もあったんですけど、区切る(終わらせる)方向性が確定してたから、その点は苦労はしなかったですね。
これ自分にとっては結構大事で、頭の中に大きめの迷いが残ってると、ちょこちょこそれが出てきて集中できなかったはず。
期間を設けていた
あと、「1年かけて土台作りに取り組む」と決めてたのも良かったっぽくて、“1年” という期間を設けてなかったら、スイッチを入れたは良いけど早めに切れてたんじゃないかと思います。
あまりにも漠然としたまま進むのはやっぱり難しくて、それがないと気が付いたらスイッチが切れてそう。
1年経ってみて
この会話をした時がたまたま入社してちょうど1年くらいだったので、ざっくり振り返ってみると、、、
スイッチを入れていた分、それなりの状態には持っていけた気がしています。
それなりというのは、まだまだやれていない事はあるけど、周りの人からのリアクションが良かったので、そう解釈することにしました。
だけど…
スイッチを入れて職場に入った → 1年の期限を設けて土台作りに励んだ
という流れだった事もあり、1年経った今、スイッチが切れかかってる感があります。
「さて次はどうしようか…」と。
土台作りは誰にでも必要な部分だったりするので、迷う必要がないというか、コミットするかしないかだけの話だけど、その次に何をするかは考えないといけなくて。
先に「この仕事に積極的に取り組むと決めてた」と書いたけど、これはかなり漠然としていて、「何を」の部分は特に決めていませんでした。
(ミッションに共感して応募したんですよね。ここに入ればミッションに対して仲間と動けそう、的な)
わかりやすい期限に向けてそこそこ突っ走ってきたら、その先を全く考えてなかったという。。。
ここはミスったなと思いつつ、途中でアレコレ考えなかったからスイッチが切れなかったんじゃない?とも思います。
あと、時間の使い方の話もあって、業務以外に自分の時間もそこそこ使ってたので、もうちょっと上手いやり方があったなと感じています。
スイッチを入れることが目的になってた?
「スイッチを入れる期間を設けてた」のは能動的に動くという意味では確かに良かったけど、「1年かけて土台作りに取り組む」の、”土台作り” の方じゃなくて、”1年”の方に意識が向いてたんじゃない?って思ったりもしました。
あるあるの話で手段が目的化してた的な。
スイッチというか”ツマミ”?
冒頭の会話のスイッチの話とは少し文脈が変わっちゃうんですけど、たぶんスイッチっていっぱいありますよね。
そもそも生きてたら基本がマルチコンテンツなわけで、同時進行は当たり前。
スイッチが1つということはないし、人それぞれ持ってるスイッチの数は違いそうです。
あと、「スイッチを入れた」とか「切れかかってる」とか書いたけど、気づかないうちに絶対スイッチ切れてるし。。
とはいえ入れたと思っていてもたぶん100じゃないし、切れたとしてもたぶん0じゃない。
(全部100にするとか頭の中がグチャグチャしてそう)
だから、スイッチのニュアンスよりも、音響機器の “ツマミ” みたいな感じかなと思ったりします。
こっちのツマミを上げたら、こっちのツマミは絞るみたいな感じに。
(スイッチの話として書いてて最後に違う表現を持ってくるのはアレだけど…)
これから1年はスイッチじゃなくて “ツマミ” の概念で、今の自分には何のツマミがあって、どれが上がっていて、どれを絞っているのか、自分を観察してみようと思います。
そんなに器用じゃないから自分でコントロールするのは無理そうだけど、なんか見え方が変わってきそう。
たぶん「何かしっくりこないなー」と感じてる時は、意図してないところで別のツマミが上がってると思うんですよね。
というわけでスイッチの話じゃなくなりました。。