2022年6月〜10月にかけて、本と編集の総合企業 SPBS さん主催の『都市生活者のための農的生き方講座』に参加してました。
その時の振り返りメモ。(当時のメモから一部抜粋)
講座の概要を一部引用させていただきます↓
当講座で目指している「農的生き方」とは、農家になることではありません。都市で生活をしながら自給や自然界の循環について学び、自分なりの軸を持ち、ライフスタイルを見直しながら行動していくことそのものです。
合同会社SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS. “【SPBS THE SCHOOL】食べものを自分で作って自分で食べる幸せを── 都市生活者のための農的生き方講座〈座学編・全6回〉”. SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)- 本と編集の総合企業. 2022-6-14. https://www.shibuyabooks.co.jp/event/8677/, (参照2024-01-22)
講座説明文の中に、普段感じている事や自分に当てはまる内容があったので参加を決めました。
もう少し具体的に言うと↓のような感じ。
- お金に縛られている感覚
- 自分で食糧を調達できない恐さ
- 自給率の低さを感じていた
- 引越しを検討していて、もう少し自然がある所に住みたいと考えている
- 気候変動に関心を持つようになり、それらに働きかけている企業で働き始めたが、もう少し自分のライフスタイルとして取り入れたい
自分は都会生まれ都会育ちで、いきなり「地方や田舎に行くか」っていうのも違う気がするし、自然が好きだけど、都会も好きなんですよね。
なので、この講座のタイトル『都市生活者のための農的生き方講座』を見た段階で、興味あるなーってなりました。
目次
第1回 『人間としての生きるを探す~旅をする中で見えてきたもの~』
講師は三上奈緒さん/旅する料理人(今回の講座のメインナビゲーター)
当時のメモから
IHの時代
小学生がアルコールの火(本物の火)を熱いものと分からず触ってしまった話。
これは衝撃だった。。。IHのコンロしか知らないと、そうなってしまうんですかね。。
なぜ?なんで?を問う力
- なぜ自給?
- なぜ都市生活?
- なぜ農的暮らし?
つまり、生きるってなんだ?
この時、自分は「生きる=食べること」と答えました。
すごい複雑に感じる世の中だけど、もう少しシンプルに「食べて、美味しくて、幸せだ」と感じたい、と。
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逆に死とは何か?
ライオンがガゼルを捕食する = これが彼らにとって生きるという事。
(動物的な感覚の方が生きる事を捉えている)
豊かとは
豪華な食事? 車? 家?
どれもお金を使える事が前提だけど、非常時などお金を使えない環境なら、ただの紙切れになってしまう。
[豊]という漢字の豆の部分は、食べ物の豆でなく「たかつき(器)」を表していて、その上に穀物が乗っている様子を表している = 豊 = 食べ物がたくさんある事。
食の安全
それはイコール自給(外国に頼らない)。
自給ができないと駆け引きが起こる + 交渉に巻き込まれる → それだと言いなりになってしまう可能性がある。
個人という文脈ではもちろん、国という単位で考えても外部化のしすぎはリスクだよねと。
もし食べ物が無くなったら
- 都市生活 … 農家が少ない、自然がない(畑や田んぼの土地が無い)
- 昔の生活 … 木の実、魚を獲る、狩りをする
改めて考えると、「自分、何もできないじゃん…」となりますよね。
進化 or 退化
靴を履かなくとも長距離を移動できた(飛脚)→身体の機能が低下 = 退化とも言える。
スマホに頼っている →記憶力は低下する = 退化とも言える。
自分の感覚だと、、物(自分の外側にあるもの)は進化しているかもしれないけど、人(自分自身、内部的なもの)は退化しているのかもなーと思いました。
奈緒さんの印象に残った言葉
美味しいものを辿っていくと、良い物に繋がる。
美味しいものは塩だけでバチッと味が決まる。
第2回 『有機農業と経済の中で生きる』
講師は保田茂さん/神戸大学名誉教授・農学者
当時のメモから
海外との比較
農業従事者の数、高齢化、後継者不足など、よく耳にする話題だったけど、他国との比較グラフを見てかなり深刻だという事を理解。
(今更ですが。。)
日本では、いま農業を支えてくれている60~74歳が、あと10~20年で引退して食料が無くなっていく。
成熟社会
工業は成熟するとその国で不要になって別の国に移る。
それに対して食料(農業)は成熟社会を迎えない。
農業を大切にして復活させれば、それに関連した仕事が必要になる。
とても興味深い内容でした。
自分の選択が未来につながっている
「安いから」「便利だから」といった理由だけで選択を続けていくと、それが自分達の未来を壊してしまっているんだなと、改めて感じました。
(環境面は分かりやすいから理解している人も多い気がしますが、食の面では認識していない人が多いのではないかと。自分も含めて…)
(食の欧米化が進み)米を食べる人が少ないから、政治が米に力を入れていないという側面があるらしい。。
安易ではありますが、、、
- パンが好きなので、米粉でパンを作っているお店を探す
- 小麦のパンを買うとしても国産小麦を使っているお店で買う
- 炊飯器でパンを作ったこともあったけど、米粉でも作ってみる
土が重要
農作物は土の栄養分から成る。
土の質(=野菜の質)が低いと、不健康になりやすい。
国(政治)と生活者
国(政治)に期待する前に小さい単位でできる事をする。
生活者が変わる → その地域の政治家が変わる → 国へ…という考え方。
ちょうど参院選があったので、自分は気候変動対策や食料自給率に言及している候補者に票を入れました。
第3回 『地球と人間がともに豊かになる暮らし』
講師は四井真治さん/ソイルデザイン代表・パーマカルチャーデザイナー・いのちの仕組みの暮らし方研究家
当時のメモから
集めること
命とは物質やエネルギーを集める事。
最小限のある空間に、最大限、生物・植物が詰め込まれた時に物質やエネルギーが最大限に集まる
↓
蓄える仕組みができる
↓
その上に自分たちの暮らしがあれば、そこから資源を取り出すことができる
↓
だから、暮らしの中に多様性を作り、物質やエネルギーを集める。
これがパーマカルチャーの原理(デザイン)。
この「集める事」という表現が印象的でした。
いま自分たちは何を集めているんだろうか、と考えたり。
生きる事に繋がらない物ばかりを揃えているような気がしました。。。
植林と種から育てる違い
植林の場合は世話が必要になる。
種から育てるとしっかり根付くし、成長も追いつき、最終的に自立するようになる + 周りの森とも共生する。
気候変動や環境問題の話題の中で植林の話が出てくる事が多いので、考えさせられる内容でした。
どこまで先を意識にするかによるかもですが、100年、200年~のスパンで考えると、植林がベターな選択なのか、時間はかかるけど種から育てるのが良いのか。。
草原では野菜が育ち 森林では育たなかった
- 草原から森林になると土の高さ(深さ)が半分になる
- 木は幹に養分を蓄えられる=土が半分でも大丈夫
- 草を育てると土ができるという事=草は悪者ではない
- 冬草を残して(養分を蓄える)→春に表面の草を刈る(土を保護)
不耕起栽培
パラグアイが大豆でトップ(大豆の裏作として小麦を作る)。
なぜパラグアイの土地+不耕起栽培で大豆が育つのか。
- イネ科の植物(小麦)…土を耕す + 根が深い + 土の中に有機物をたくさん作る
- マメ科の大豆 …根粒菌が根っこに共生する + 空気中の窒素を取り入れて土を肥やす
↓
これを交互に繰り返す(耕される→肥やす→…)。
ブラジルからパラグアイに入ってきた技術らしい。
窒素肥料は海外から買わなくて良い
窒素肥料は石炭からできている。
石炭じゃなくて自分たちが集めてきたものから作れば良い。
生ゴミ、人糞、尿を堆肥化できる(液肥)。それに加えてバイオガスでエネルギーも作れる。
どこの自治体か忘れてしまいましたが、バイオガスの仕組みを取り入れている町のニュースを見たことがあります。
その町ではゴミの分別の中に「生ゴミの日」があって、その生ゴミと汚水を使ってバイオガスのエネルギーを作っていました。
こういった仕組みが少しずつ広がると良い。
都会での循環
四井さんが都会で実験した結果、都会での暮らしで循環させるのは厳しいという結果になったお話は、ちょっと衝撃でした。
知識や経験があれば良いという事ではなく、適した空間や場所があるという事。
それも踏まえた上で都会で住む事は良い事なのか…
(生産できない。循環の仕組みを取り入れるのも難しい)
第4回 『縄文一万年の知恵を生かす』
講師は小松隆史さん/井戸尻考古館館長
当時のメモから
縄文農耕論
何を育てていたかは不明との事でしたが、それでも農を行っていたとしたら、「縄文時代 = 狩りの時代」の認識だったので驚きです。
火山と湧水
火山が恐い存在であるのは変わりないけど、湧水や温泉など生活を豊かにしてくれる側面がある。
「マグマが地面を焼き尽くす→戻る」事は、再生する事でもあって、焼き畑は火山活動の縮図という話は興味深かったです。
縄文人と現代人の共通点はあるのか
「極論、昭和30年くらいまでは縄文寄り」という表現は、最初は「さすがに それは…」と感じましたが、自分の小さい頃の祖父母宅の写真を見ると、木の戸を開ければ外だったり、玄関?の扉も弱々しい木の扉でした。
(ハエが飛んでいて、ハエ叩きで倒していた記憶もあります。)
そう考えると、ここ数十年の変化は本当に大きくて、これまでの繋がりをぶった斬ったような生活になっている気も。。
風土・地勢・歴史とともに生きる
小松さんの考えとしては「自然との共生なんか出来ない」との事。
自然の恐さ(災害など)を考えたら難しいのではないかという意見は、共感できる所がありました。
石巻の高台に遺跡がある = 津波が来る場所には集落を作ってなかった
こういった話を聞くと、やっぱり自然ありきというか、まずは自然を優先する目線は必要だと思います。
何でもかんでも人間基準で考えた結果が今で、ここまで自然災害が甚大になっている今だからこそ、見直していければなと。
農の観点でも、その土地に合った農作物があると思うので、農薬や化学肥料、遺伝子組み替えとかではなくて、まずは風土ありきで考えていくのが良さそう。
縄文では自然の恐さはあったが、何かを”所有する”という概念は無かった
所有の概念が階級を生み、戦争や紛争にも発展する。
気候危機が進んで水不足や食糧不足が懸念されている今、改めて恐い概念でもあるなと感じます。。
第5回 『自給しながら生きる 〜buyではない。you are what you make である〜』
講師はSHO Farm 仲野晶子さん・仲野翔さん/農家
当時のメモから
なぜ自給してほしいか
自分で作れる = 人生の主導権を握れる。
色々な技術を持っているから、この土地がゼロになっても大丈夫という自信がある。
この言葉を聞いて、改めて、自分は出来る事が少ないなぁと感じました。
自分で出来ないものは、諦める or お金を払う流れになる。
これは、主導権を握れないだけでなく、生きる上でリスクだとも思います。
思考停止ですぐにお金を払うのではなくて、まずは「自分で出来ないか」、出来ないなら「それが出来るようになるにはどうすれば良いか」を考えていこうかと。
もともと何かを作るのは好きなので、手を動かしていきます。
不耕起栽培
耕すと根が切れるし、微生物のネットワークを壊してしまう。
水分が抜けにくい分、干ばつに強かったり、トラクターを入れた土に対して、不耕起では大雨の時に土が流れ出ないといった点は、気候変動を考慮した時にもかなり優位性があると思いました。
(それに加えて炭素を保持できる点も◎)
土からの視点であったり、食べ物としてのエネルギーや味を考えても不耕起栽培・再生型農業を応援してきたいです。(自分が参加していく事も頭に入れながら)
芸術性も重視している
圃場の美しさだけでなく、暮らし自体が美しいなーと感じました。
自分たちで育てた野菜を自分たちで調理して食べる。建物を自分たちで作る。(オブジェ的な要素を入れてる所も好き)
屋外のキッチンで料理している光景もとても綺麗でした。
コンポストトイレ
現状、作る場所も無いので実践するかはさて置き、土に穴を掘るだけで良いという衝撃。
ボットン便所の水瓶は土に還るわけじゃないから臭いがするのは当たり前、という話がありましたが、なるほどなーと思いました。
- 土に触れると臭いが出ない + 分解が進む
- 大の後は木チップを入れると臭いが出ない
やっぱり土(菌や微生物も)って凄いなと。
圃場の電気
350w ×2枚のソーラーパネルで運営。
翔さんのベンチプレスの話
野菜を中心とした食生活だと「タンパク質の確保が難しいな…」と思っていたので、ベンチプレス90kg→130kgの話はビックリしました。
奈緒さんや晶子さんが仰っていたように体で感じる事は大切だなと、改めて。
食べ物を食べているようで “情報” や “言葉” を食べている感覚もあったので、体で感じとるように意識していきます。
第6回 『私の農的生き方発表会』
講師は三上奈緒さん/旅する料理人(今回の講座のメインナビゲーター)
自分が書いた事
変化 「講座を終えて、第1回目の自分と今の自分の変化」
- 初回の自己紹介の時に「何から始めたら良いのか途方にくれがち」と言ったけど、今は気が付いた事から1つ1つ積み上げて行こうと思ってる。
- お金を払って何かを得るのではなく、自分の手を動かして行こうと思えた。
- コミュニケーションをとる(無理にでも言語化する)大切さも感じた。
– アウトプットしないと考えたつもりになってる事が多い。
- 誰かと一緒にやる選択肢を持つ。
- もともと1人でモノづくりをしていて、1人でやる事のキツさは感じていた。
- SHO Farm の立ち上げが2人だった事を聞いた時に「また何でもかんでも1人でやろうとしてたんだな」と客観的に見れた気がした。
- そういう意味で選択肢が増えたというか視野が広がった感覚がある。
自分のものさし 「これから生き方の軸となる大切にしていきたい考え」
- まず自分の手で出来るかどうか考える。
- 環境・循環への配慮がされているか否か
困っていることがあれば 「一歩が出ないそれはなんだろうか」
- やっぱりお金に対する不安はあるんだと思う。
- 支出は最低限の管理はしていたけど、もう少し見える化する。
描く未来(世界)「どんな世界に住みたいか」
- 地域内での循環が機能している世界
- それぞれの地域が完全に自立しているというよりは、隣り合っている地域との助け合いも。
- ボトムアップ型で国に働きかけるような動き。
- 循環が見える世界(循環してない部分が見える世界)
- 循環を無視している部分が圧倒的に多い。
- そういったものが見える化されて、(企業の)コストの外部化が減って欲しい。
- モノを生むなら、その前後にも責任を持つ必要がある。
- 偏りのない世界
- 資本もそうなんだけど、すごく偏りを感じる。
- これから資源の偏りは進むと思うので、やや不安。
- コントロール “する側” と “される側”
描く未来(自分の暮らし) 「どんな暮らしでありたいか」
- 広がり過ぎた生活を小さくする
- インターネットの普及で、どこでも何でも買える世界になった。
- 知らない事を知る事ができるのは良い面でもあるけど、反面、知る必要のない事や余計なものに触れる機会が増えた。
- 自分の目の前の生活とネットの世界の境界線が曖昧になってる感覚がある。
- 必要以上に広がり過ぎてしまった生活をスケールダウンしたい。
- 便利な部分は上手く利用する。ただし、利用される側にならないように。
- シンプルに生きたい
- 色々なものが発展した結果、複雑に感じる部分も多い。
(自分が情報に触れ過ぎてるのかも)
- 家でのんびり昼ご飯を食べるのが、自分にとっては心地の良い時間。
(自分でサンドイッチを作って、コーヒーを淹れて…)
- 作り手が見える料理を自分が好きな人達と食べるのも幸せ
(SHO Farm さんでの食事のような)
- 第1回目の講座の後に「生きる事 = 食べる事」と感じていたけど、それは今も同じ。
- 食べる事を暮らしの中心に置きたい。
+
- 自分の好きなフィールド(低山)に近い所に住む
- 2024年に西の方に移る
- 貸し農園を借りて野菜を育てる
- ↑の移住まではベランダでプランターを予定
- 自分が食べるパンは米粉で作る
- 普段お米を買っている農家さんに協力を仰ぎたい…
はじめの一歩宣言「わたし2023年これをやる」
- いつも職場にサラダを持参しているが、1種類でも良いから自分で育てた野菜を入れる。