本を読んでたら、、、
「完璧主義なあまり、こだわりすぎて締め切りに間に合わない。これって全然完璧じゃないし、完璧を求める不完全な人だよね。」
という内容の文章が出てきて、
「まさに!」
と思ってしまいました。
完璧主義なら完璧主義で別に良いんだけど、↑の文章みたいな “完璧主義風なこだわりやさん” タイプがアレなんじゃないかと。
自分は完璧主義と言うよりはただの “気にしぃ” な性格だけど、こだわりは強い方だし(あと、細かい)、この文章に反応したのは思い当たることがあったからなんですよね。
こだわるのは必ずしも悪いことではないと思います。
でも自分の場合、この “こだわり” は悪い形で発揮されている場面が多い気がしていて。。。
靴を作っていた時を振り返ると
靴を作っていた時を振り返ると、こだわるべきところがズレていて、無駄なところに時間をかけていたなーと感じることが多いです。
例えば、、、
木型を削る作業って、フィッティングや靴のフォルムに影響が出ない部分があるんですけど、試作段階からそこに時間をかけたりとか。
(ここは最終段階で詰めた方が良い)
他にも、そもそも誰かに履いてもらう前の段階から、設計で使う数値の%にこだわったり。。
たしか、だいぶ前に出されていた統計値から判断しようとしてたんですよね。
(よく聞く話だけど、平均を割り出した時に、そんな人物は居ない的な)
(ここも最終段階で詰めていけば良いでしょと、今では思う。。。)
何者でもない自分が語れることではないですが、ものづくりの世界ではこだわることも大切な要素だけど、どこをこだわるべきかを判断できる必要はありそうですよね。
しかも自分の場合、そういうアドバイスはもらっていたのに。。
そこでも「でも、これは…」とか言って、無駄なこだわりを発揮してました。笑
ものを作っているんだから、しっかりと “もの” を成果物としてアウトプットするべきだったと思います。。
教わっていた方には「締め切りを作って計画を立てろ」とずっと言われてたけど、それはその人自身が同じような経験をしてきたから、そういうアドバイスをくれたんだろうなー。
(締め切りがあるから作るというのは、違う。とも言われてたけどね)
それをも謎のこだわりで跳ね返していたという。。。
靴を作っていた時を振り返った話↓
それは”こだわり”ですらない
そもそも経験値が少ない中でアレコレこだわっていた自分だったけど、それは “こだわり” なのか…??
アウトプットや行動を繰り返す中で、見えてくるもの・感じるものはたくさんあると思います。
その結果として自分らしさであったり、こだわりが出てくるのはわかる。
でも、その土台となる部分が無い状態でこだわってるとしたら、、、
“こだわり” というよりは “思い込み” とかのニュアンスが近い気がするんですよね。
経験の中から生まれる「こうあるべきだ」とかじゃないから。
自分では真剣に考えて意味付け・理由付けしている感覚かもしれないけど、聞いた話や空想をもとに「きっとこうだ」と思い込んでる感じ。
振り返るとホント恥ずかしくなります。。。
(とはいえ、こういうのも自分が身を持って経験したことだからわかるものなんですかね…)
質より量を求めてみる
その時その時で何に力を注ぎたいかは変わりますが、いま自分がこだわりたいのは、ざっくり言うと
- アウトプットすること
- 行動すること
の2つ。
「質より量」と書いたけど、どちらかと言えば「量より質だ!」と語られることが多いんですかね。
でも自分の場合は、たぶん「質より量」を意識した方が良いと思ったりします。
質を求めようとすると、こだわりスイッチが入って考える時間が増える。
目的に向かうこだわりというよりは、ただ気になっちゃってる感じ。
こねくり回してアウトプットされないまま時間が経過して、最終的にアウトプットすらされない。笑
いま書いてて、もう1つ思い出したんですけど、自分が靴を教わっていた人は相手によって伝える言葉を変えてたんですよねー。
「君には『そんなに考えてないで早く聞きに来い』と伝えるし、◯◯くんには『もっと考えてから聞きに来い』と伝える」と。
客観的に見ても自分は考えることを優先しすぎるタイプだったんでしょうね。。
だから、質より量にこだわってアウトプットと行動していきたい。
その後で少しずつ質にこだわれば良い。…たぶん。
以前書いた better の話でも同じようなことを言っていたから、結局まだまだ行動に移せてないんだなーと思ったりします。
とりあえず、この文章を書きながら、どうするか迷っていたことを1つ行動に移すことにしました。