しっかり区切ること

しっかり区切ること

2023年4月22日

このまま靴作りを続けるのか、辞めるのか。

そんなことを一時期ずっと考えていました。

ずるずると引きずっていると毎日モヤモヤしていて、結果的に進むものも進まないし、メンタル的にも良くない。

いま振り返ると「なんでこんなに引っ張ってたのかな」と思うことがあります。

自分の場合はたまたま機会があって、そのお陰でしっかりと区切ることができました。

区切った後のスッキリ感と、視界が開ける感覚は結構すごかったです。

その時のことをザッと振り返ってみます。

区切ることの難しさ

2011年から趣味で靴作りをスタートして、2013年からは手に職を付けたいと思い、浅草の工房に通い始めました。

振り返った時にも書いたけど、2019年の最初の方にブランド(メーカー)立ち上げをストップ。

その後は靴作りと中途半端な距離を保ったまま過ごしていました。

靴ブランド立ち上げをストップさせた話
以前、kakitsubata(カキツバタ)というセミオーダー靴のブランドを準備していた時の振り返りメモです。 誰かに話す時も伝わりやすいので「ブランド」と言って…
baknowes.com

自分の立場を表す言葉を失いたくない

靴作りをしていて、途中から感じていたことが1つあります。

自分が

  • 何者なのか
  • 何をしている人なのか

といった肩書きっぽいものが欲しかったんじゃないかなと。

手に職を付けようと動いている時は、職人ではないものの “靴職人を目指している人” と見られることが多かったです。

ブランドを立ち上げようとしている時は、”靴ブランドの準備をしてる人” とか 。

当時、自分を表す言葉が何も無いことに変なコンプレックスみたいなものがあって、何でも良いからそういう言葉があると安心感があったんだと思います。

いずれにしても、自分のやっていることよりも周りの目を気にしてますよね。

記憶が間違ってなければ、割と早い段階でこの感情には気付いていた気がします。

↑の振り返り記事にも書いたけど、「なぜ靴を作るのか(作りたいのか)」という大きな問いと向き合わないまま進んでいたので、その時も自分を表す言葉を失いたくないって気持ちがあったのかもしれません。。

(その後、別の仕事でハッキリと肩書きが付く恐さを感じたこともありました。ホントめんどくさいやつだな。。)

そんなこんなで、ブランドを立ち上げは気持ち良くストップできたんですが(振り返り記事参照)、靴作りを区切るのは結構引っ張ってました。

サンクコストも

趣味の靴作りから始まって、学ぶお金、時間、材料、工具、機材などなど、あれこれお金をかけてきたわけで。。

靴作りをやめたら、これまでのものが無駄になるよね…と感じたりもしてました。

(もちろん今は、靴を作っていたことはめちゃくちゃ良い体験/経験だったなーと思っているので、無駄だったとは全く感じてない。)

区切るための儀式みたいなものがあると良い

これはあくまで自分の場合ですが、「これをやったら終わり!」みたいな機会があるとスッキリ区切れるかもしれません。

(結果論だけど。)

父の靴を作った話

父はスニーカーとかサンダルしか履かないタイプの人。

革靴を作っても履かないだろうなーと勝手に思っていて、「靴作る??」と聞いたことがありませんでした。

いつ頃かは忘れちゃったけど、急に「今度、靴作って」と言われたことがあって。(たぶん2回くらい)

そこから少し期間が空いた後に、父の靴を作ることになりました。

今でも少し曲がった考え方かなーと振り返ることがあるんですが、作ろうと思ったきっかけは、

このまま作らなかったら

  • 父は「作ってもらえなかった」という感情が残る
  • 自分は「作ってと言われてたのに作らなかった」という感情が残る

と思ったからです。

めちゃくちゃ応援や手助けをしてもらっていたのに、作らずに終わるのは違うよねっていうのも。

(いずれにしても、作ってと言われた時に「OK」とすぐ言えば良いじゃんと思う…)

(父だって、気合いを入れて伝えてくれたのかもしれないし…)

作って良かった

結果的に、作って本当に良かったと思います。

「これを仕事に」とか「どうやってマネタイズするか」とか「ミスは許されない」などなど、いつのまにかガチガチに固められていたものから解放されたような気がして、

“これを作り終えたら靴を辞める” とかも結構どうでも良くて、なんかこう、靴を始めた当初の “ただ純粋に靴を作る” みたいな感覚がありました。

腕が落ちて下手くそになってるところも全部ひっくるめて楽しかったです。

(この腕が落ちてる感覚を、しっかりと感じられたのも良かった)

その後、父から「今度どこそこに行くからその時に履いてく」とか、「この前も履いたけど良い感じだった」とか、報告してくれたりも。

普段、革靴を履かないからこそ1回1回が少し特別になってるのかもなーと思いました。

書いてて思い出したけど、自分はもともと “道具のような靴” を作りたいと考えていたので、父のように特別な機会にしか履かない靴は方向性で言うと真逆です。

でも、「こういうのもありだな」と。

続けるにしても区切るにしても納得感を持って

自分の場合はしっかりと区切ったことでスッキリして、次の場所に気持ち良く進むことができました。

でも、辞めたらモヤモヤするパターンもあると思っています。

大切なのは自分の中でしっかり納得感を持てているかどうかかなーと。

(納得感がないまま動いていたので。。。)

なので、辞めて後悔しそうなら続ければ良いし、続けるなら続けるで、しっかりやる。

でも、しっかりやってみて気持ちが変わったら、一度区切ってみても良いと思ったりします。

それは経験したからこそわかることだと思うから。

そのしっかりやった経験を持って次の場所に行ったら、きっとどこかで活きてくるはず。たぶん。

と言いながら、自分の場合は引っ張っていた時間を経験したからこそ、今の場所にしっかり集中できているのかなーと思うこともあるので、それぞれのタイミングで。

何にしても、このような機会をくれた父にはとても感謝しています。